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福島地方裁判所 昭和33年(わ)49号 判決

被告人 渡部勇

主文

被告人を懲役三年に処する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある鉄棒一本(証第一号)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は福島県相馬郡福浦村耳谷小学校を卒業後直ちに家業である農業に従事したが、被告人の父新蔵は部落内でも評判のいわゆる働き者であつたため、いきおい被告人や家族に対し過労を強い、この態度は被告人が妻を娶るようになつてからも同様であつたために、被告人は大正九年から同十四年までの間に順次五人の妻を迎えたが、いずれも被告人方に長く留まらずして離婚し、昭和七年頃被告人自身も新蔵から働きのない者は家から出て行け、と言われて、六人目の妻およしおよび長男昌万ほか二子とともにやむなく同県双葉郡葛尾村大字野行に別居して養蚕や開墾事業等に従事して糊口をしのぐうち、およしは過労が基で病気で斃れ、その後被告人は三子を抱えて約二年間開墾田や小作地の耕作を続けた。昭和八年頃被告人と新蔵との仲をとりもつ者があつて被告人は新蔵所有の田畑の一部をも耕作するようになりさらに昭和二十一年二月肩書住居地の新蔵の家に戻つて同人とは別個の世帯で生活するようになつたところ、昭和二十三年被告人および留蔵を除く他の兄弟甚蔵(木樵)、悦蔵(日雇)および家一(船大工)から、右三名が父新蔵から何らの財産も貰い受けていないという不平が出、結局被告人が耕作している田のうちから甚蔵、悦蔵および家一にそれぞれ一反ずつを分配することになり、甚蔵と家一は貰い受けた田をそれぞれ他に売却してしまつたにもかかわらず、昭和二十三年いわゆる農地解放により被告人が父新蔵所有名義の田約八反、畑約三反、留蔵所有名義の田二反ほか一反の売渡を受けるや昭和二十六年頃家一は福島家庭裁判所相馬支部に被告人を相手取つて被告人所有の田畑の一部を同人に贈与する旨の調停を申し立てこれは結局不調に終つたが、同年に新蔵も被告人を相手取つてあるいは右裁判所に扶養料請求の調停を、あるいは昭和二十八年土地返還の調停をそれぞれ申し立てるなど被告人と父新蔵および弟家一とは感情的に反目し合うのみならず経済的にも対立し合うに至つた。降つて昭和三十三年四月二十日、さきに窃盗、暴行、詐欺等の前科を重ね、日常の言動にも粗暴な点が少くなく、その生家近隣の者達からいわゆる不良人物と目されていた右家一が、それまで服役していた福島刑務所から出所するや、同人は被告人方に身を寄せ、胃弱の医療と養生のためと称して被告人から小遣銭の支給を受けて徒食していたが、同月二十六日から被告人に対し連日のように金をくれと要求し、この要求に対し難色を示す被告人に対し時には被告人方下爐の囲炉裡用の火箸を突きつけ、もし金をくれなければ被告人一家を皆殺しにしてやるなどの暴言を浴せるのを常としたので、被告人は家一の前記のような前歴や粗暴な性格から、あるいは真実同人が殺傷沙汰に出るかもしれないと考えて家族の者をして兇器になりうる農機具類を家一の眼のつかない場所に隠させ、自らは脱穀機の部分品であつた長さ約六十二糎、直径約二・二糎、重さ約一、〇〇〇瓦の鉄棒(証第一号)を被告人から襲撃された場合の護身用として被告人方中の間の出格子の中に秘かに用意するなど、兢々とした気持で日を送りために夜は安眠もできない有様であつたところ、同月四日午後一時頃家一は被告人方下爐の炉端において、被告人に対し今すぐ金十万円を出せ、出さなければこの火箸で突き殺すぞと言いながら前記火箸を被告人の咽喉部に突き出して金員を要求したので思案に暮れた被告人は、同人方東隣の久保田富衛方に善後策の相談に赴くや家一はその後を追つて久保田方に到り、同所でも同様な方法で金員を要求し、その場は久保田のとりなしにより両名は一旦帰宅したが、さらに同日午後七時三十分頃被告人方下爐の炉端で家一は被告人に対し、「俺は刑務所から帰つてきたが刑務所では人殺しや強盗と友達づき合いをしてきた。人なんぞ殺すことはなんともない」「十万円くれなければ家中の者を皆殺しにして火をつけ、汽車に轢かれて死ぬ。」と申し向け、被告人が十万円という大金はない、と答えると「ねえんだら、三十万円をくれるという証文を書け。書けなければ田六反歩抵当に入れるから手続しろ」と怒鳴り、はては銭もなく証文も書く気がなければ払う気はないのだろう旨言つて前記火箸を手に持つて被告人の咽喉部に突きつけ、殺してやると怒号する有様であつたので、被告人は今は夜のことでもあるから明日まで待つて貰いたい旨答えて隣室の中の間に寝に就くため赴く途中今夜中に家一が暴力行為に訴えるかもしれないと考え、さきに出格子の内部に隠しておいた前記鉄棒を持ち出し自らの敷布団の下に入れ、着衣のまま布団の上に俯伏せになつて暫時家一の要求に対する善後策について苦慮するうち、翌五日中にも現金十万円の金策の出来る当もなく、さりとて金三十万円を家一に贈与する証書を書くとか田地六反歩を抵当に入れて借財することも、さなきだに苦しい被告人の経済状態では極めて困難であり、そうかといつて、もし同人の要求に応じなければ同人は被告人家族を皆殺しにしかねないなどと考えると同時に、以前に家一が被告人の子よつ子に乱暴を働いたり、被告人方から米十俵や衣料品を盗み出したり、さらに昭和三十一年頃家一が飲酒のうえ田をくれなければ被告人一家の者を皆殺しにしてしまうと新しいまさかりを持つて騒いだりしたことがあることを思い合わせ、にわかに、家一をこのままにしておいたら被告人一家の存立が危いという焦慮感と家一からやがて受けるかもしれない迫害感に強く捉えられ、これが連日来の不眠と苦悩とによつて惹起された疲労感と一緒になつて被告人は烈しい爆発的昂奮状態に陥ち込んだまま、このうえは家一を殺害するにしかずと決意し、敷布団の下に置いた前記鉄棒を右手に持ち、まだ下爐の炉端に後を見せて東北向きに坐つていた同人の背後に廻わり、前記鉄棒を自己の眼の高さ位に振り上げ、斜上方から家一の後頭部を強打し、この一撃によつて前方にのめるようにして俯伏せに倒れた同人の頭部をさらに続けざまに六・七回強打して同人に頭蓋骨骨折、脳損傷の傷害を負わせ、よつて同日午後十一時三十分頃同所において右脳損傷に因り同人を死亡させて遂に殺害の目的を達したが、被告人は右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(事件の争点に対する判断)

被告人は第一回公判廷において本件には殺意がなかつた旨陳述しているのでこの点について検討するに、被告人が任意に供述したと認められる検察官ならびに司法警察員に対する各自供調書によれば、被告人は殺意をもつて本件犯行におよんだ旨終始供述しており、しかも右各供述は前示のような本件犯行の動機、本件犯行に供した鉄棒(証第一号)の長さ、重量、右鉄棒による打撃の部位、打撃の回数等に徴して、その信用性は充分であるから、被告人が殺意をもつて家一を死に致したと認められること判示のとおりである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人は犯行当時前示のように心神耗弱の状態にあつたから同法第三十九条第二項、第六十八条第三号により法律上の減軽をした刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、なおその犯情についてみるに、(1)被告人には何ら前科がないうえ証人黒木熊治、同渡部春代に対する各尋問調書によれば被告人の性格は善良かつ正直で部落民からも強い信用を得ていたことが認められる。(2)さらに被告人が本件犯行におよんだ原因について考察するに、被害者家一が被告人に対し金十万円を要求する主観的根拠が、被告人と家一との間になされた田地一反歩の贈与契約にあつたのか、あるいはその他にあつたのかは明白でないが、いずれにしても家一の要求が正当な権利行使であつたと認めるには証拠資料が乏しいといわなければならない。また被告人はその家計が耕作面積に比して必ずしも豊かであるとはいえない状況であり、しかも多年の辛苦の末に確保した所有財産の大部分は農業経営に不可欠な生産手段たる耕地であつてみれば、たとえこれという財産もなく、前科者として社会的信用もなきに等しい家一の境遇に深い理解を有していたとしても直ちに所有農地の処分までして同人に経済的な援助をするという挙には出にくかつたと認めることができる。ひるがえつて家一についてみるに、同人は刑務所からの出所以来被告人宅に寄食しかつ小遣銭の支給まで受け、加えて家一に対する経済的援助については被告人は些少の誠意ある態度を示していたにもかかわらず、家一は判示のような恐喝的言動を反覆して金銭を要求し、ために被告人を極めて高度な迫害観念と精神的疲労に追い込んだことは、正に本件犯行を挑発したとも言えるのであり、これを要するに本件犯行の直接的原因の大半は被害者家一にあつたものと認められる。(3)被害者家一には同人の先妻との間に子信夫があり、被告人の当公廷における供述によれば、被告人はこれを引取つて養育し贖罪の一方法としたい旨の意思を有することが認められる。以上の諸点を勘案すれば、本件犯行は人命軽視の風潮濃い現時社会情勢下にあつてはその刑責誠に軽からざるものがあるとはいえ、なおその情状刑の執行を猶予するのを相当と認めるので、同法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間前記刑の執行を猶予し、押収してある鉄棒一本(証第一号)は被告人が本件犯罪行為に供したものであつて被告人以外の者に属しないので同法第十九条第一項第二号第二項本文に従つてこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることにする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 菅野保之 松浦豊久 逢坂修造)

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